うれしい悲鳴!

いよいよケンポ・テンパ・ユンドゥン・リンポチェの来日がまじかになりました。当日ご参加の皆さまにお配りする邦訳テキストの翻訳は無事終了。テキストのレイアウト・印刷はチベット文化研究会さまにお願いしました。スタッフのみなさんは素敵で親切な女性ばかり!いつもありがとうございます。m(__)m

 

 

 

今日昼ごろチベット文化研究会さまにご連絡の電話を入れたところ、「森さ-ん。〇〇名様のご予約を頂いています!」と声を弾ませながら仰いました。その人数に私はビックリしました!「30名様くらいの方にご参加頂けたら」と思っていたのですが、予想外の反響に”うれしい悲鳴!”。

 

 

 

 

 

ご予約いただいた皆さま、

 

  

 

 

 

チベット文化研究会の皆さま、

 

  

 

 

 

ありがとうございます!!

 

  

 

 

 

 

 

 

フランスの仏教新聞
フランスの仏教新聞

 

 

 

来日されるケンポ・テンパ・ユンドゥン・リンポチェのお話の続き。

 

2001年にケンポ・リンポチェはティテン・ノルブッツェ僧院長に任命されました。当時まだ32歳の若さ。この時泣いて、この栄誉を断ったそうです。その理由はインド亡命後にボン教が直面した状況にありました。

 

 

 

ボン教もチベット仏教と同じく1959年祖国チベットを追われました。もともとのボン教はそれなりの規模をしたグループだったそうです。ところが不幸にもインド・ネパールに亡命できた高僧はわずか。信者さん達も少なかったそうです。

 

 

 

高齢の高僧は次々と他界。残されたのは現メンリ僧院長とヨンジン・テンジン・ナムダク・リンポチェだけ。。。たった二人で住む場所も食べ物もないところから再出発したのです。想像できないくらいの困難に言葉を失います。。。

 

 

 

そうしてまず北インドのドランジの地に総本山のメンリ僧院を再建。若い世代が育ち運営が軌道に乗ると、ヨンジン・リンポチェはネパールのカトマンズにティテン・ノルブッツェ僧院の建設に乗り出しました。

 

 

 

当時チベットにはいくらかボン教の瞑想学堂が存在していたようですが、本格的な論理学堂はほぼ壊滅。インドのメンリ僧院、カトマンズのティテン・ノルブッテ僧院、チベット・アムドのナンシ僧院の三僧院のみ。

 

 

 

たった三本しかない柱のひとつを任されるのは重圧だったはず。しかも40歳から70歳までの中間層の僧侶は皆無。困っても誰にも頼れない。こんな状況だったら普通、誰でも断るかもしれません。(^^;)

 

 

 

それでもメンリ僧院長猊下とヨンジン・リンポチェから再三の要請があり、ついに自分の運命を受け入れたそうです。若くしてボン教の未来を担っていく決心をされたのです!

 

 

 

未来のボン教を担うケンポ・リンポチェによるゾクチェンの法話。しかも『シャンシュン・ニェンギュ』の伝授です!めったにない機会です。みなさまぜひご参加ください!

 

 

 

こんな経歴を持ったやさしい ” ケンポ・テンパ・ユンドゥン・リンポチェ " と、

みなさんも一緒にゾクチェン瞑想を体験してみませんか?